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初の建築話
今日、電車に載っている間、本もスケッチブックも持っていなかったので、
とりとめもなく、最近自分が気になっていることについて、携帯に打ち込んでいた。
あまりまとまった文章とは言えないが、その内容をアップしてみる。



「眺め」

私は最近、「眺め」という言葉が気になっている。

建築をやっている人間の間では、「風景」や「シークエンス」という言葉は使っても、
意外に「眺め」という言葉をほとんど使わない。

手始めに、「風景」「シークエンス」「眺め」の3語のニュアンスの違いについての私の解釈を述べることとする。
(かなり強引な、片寄った視点なのでご了承を・・・)

まず、「風景」は、割と退いた視野での建築を含む環境の様相を示す言葉である。
Photoshopでフィルターをかけたり、透明度をあげたり、抽象化した映像、
そこで、個人の行為や、一つ一つのモノの状態は拾い上げられておらず、
「配置」のみが問題とされているようなイメージがある。

次に、「シークエンス」場の連続、移りかわり、断片的な一連のシーンを表す言葉である。
(「建築の一番見せたいところを見せる、その前に来る一連のシーン」とあるHPで書いてあった)
つまり、ここにはその空間で動き回っている「ひとりの人間の目線」が入り込んでいる。
誰かの主観的な視点が入り込んでいるため、体験的で、近視的な視野でその空間の様相を捉えている。

最後に「眺め」は、見渡した景色。眺望のことである。
主に建築を専門としていない人が、ある空間について
「この窓からの‘眺め’はすばらしい」などと言うように用いられる。
抽象的な映像でもなく、断片的場面の連なりでもなく、あくまでも日常生活のなかにある視点での評価である。
それは、目の前にある映像を、何かに変換することなく、
ごみごみとした生活感など建築空間にとって邪魔だと考えれれるな情報を取り除くこともしない、
ありのままの状況への評価である。

さらに、「眺め」という言葉は「眺める」という動詞から来ており、
人の「眺める」態度とは、ある一定の位置において、’ゆったりとして心持ち’で周りを見渡す、という行為である。

私は、この’ゆったりとした心持ち’というニュアンスに、「眺め」という言葉の最大の魅力を感じているのだ。
'ゆったりとした心持ち'で滞在できる空間というのは、内部であれば、丁寧につくられた落ち着いた内部空間と外の景色が合わさった空間であり、
外部であれば、開放感など、なんらかの心地よさを感じる空間ということになる。
つまり「眺めがよい」というのは、内部と外部(此処と向こう)の両者のよさを含む言葉なのである。
(見る人の感情を含んでいるのだから、論理的な思考を求める建築で使われないというのも少し納得できるような気がする。)


課題では、ついつい、問題とする対象が、都市のなかでの在り方=風景や建築空間自体の連続=シークエンスに片寄ってしまいがちである。
しかし、私は、「眺め」という言葉で表現されるような、建築と環境と日常を包み込んだ領域を扱っていきたいと思うのである。

                                    (終)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まどろっこしい文章になってしまい、自分の文章力のなさを痛い程感じますが、
論理的思考力を高める訓練に、たまには建築のことを書こうと思っています。
by yonedy7 | 2005-09-25 06:34 | 建築
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